松本人志や港区女子寿司屋騒動について思うこと
松本人志が何をしてきたかの全ては当人しか知りえない。
そしてわたしは関係者ではないから、そして情報通でもないから、事の真相はわからない。
ただ、利害関係にない第三者だからこそ、この様な騒動を目にするたびに思うことを率直に述べることができる。
それは、ことの真偽の話はともかくとして、現代の技術を用いればいくらでも斯様な情報は捏造できるということ。
ライン画像は作れる
まず第一に、LINEのスクリーンショット画面なんて何年も昔から誰でも簡単に捏造できるという事実がある。
そんじょそこらの無料の画像編集ソフトでも、多少コンピュータやスマホの扱いに心得があればそれらしい画像を作ることが可能だ。
画像編集ソフトは日に日に進歩しており、今はAIもある。資金や人員があればあるほどそれは容易であるといえるだろう。
文字情報だけの体験は捏造できる
松本人志に性被害を受けたとする○子さんの話、とか、港区女子が寿司屋で殴られそうになったとか、そんなもの幾らでも捏造できる。
医師が嫌がらせを受けていて開示請求したら生活保護の無敵の人でした、などもそうだ。
ネット上では幾らでも身分も体験も捏造できる。
みんな金や自身の属するポジションの為には平気で嘘をつける。
文字情報だけの体験談を鵜呑みにすると、簡単に誰かの意図、作為に染まってしまえるだろう。
写真は合成や生成ができる
少し前でも写真を合成してそこにいない人物をいると見せかけたりすることはできていた。
顔だけ入れ替えるなど、やりようはいくらでもある。
AI生成技術の進歩が目覚ましい昨今では、合成もさることながら、生成さえできてしまえる様になっているという事実がある。
写真の証拠能力は良くも悪くも低下する一方だ。
動画さえも信用ならない
現代は既にAIによってリアルな動画を生成できるようになっている。
何年も前にdeep fakeが問題になったが、2024年現在それは最早冗談では済まないレベルに代わりつつある。
ど素人でも岸田首相に卑猥な言葉を言わせる動画が作れてしまえる。
技術や資金がある集団であれば尚更だろう。
動画の証拠能力というものも既に毀損されてきているということだ。
ネットの言葉はやはり信用ならない
SNSのアカウントにせよ匿名掲示板にせよ、ネット上の言葉は基本的に信用ならない。
SNSで医師や弁護士など社会的信用の高い職業を僭称することは容易に誰でも可能である。
身分を明かしていない人間の、SNSや匿名掲示板やコメントやレスというものも、ステルスマーケティングや印象操作の可能性がある。
二、三人が同じ意見を言ってるだけ恰もそれが世の中の常識や風潮、正論でさえあるかのように印象付けることが可能だ。
これは恐らく多くの政党、宗教団体、企業の人間によって行われていることであるが、その性質上その証明は極めて難しい。
常識でないからといってありえないとは言えない
常識でないからといってそんなことはありえないと言ってしまえる根拠もまた存在しない。
同様に、証明ができないからその恐れは全くないのだと安心してしまうのも脳天気に思える。
人間が思いつくことの多くは可能であり、既に実行されていてもおかしくない。
例えば軍事技術などはその性質上、最先端の研究成果があってもそれを一般に公開するとは限らない。
また、エドワードスチューデンがかつて告発したアメリカによるネット監視網のように、トンデモ話に思えても実在したという実例もある。
ほんとかな?という意識を常に持つことが自衛になる
なんらかの情報があった時、それ。鵜呑みにせず、常に「ほんとかな?」と話半分に留める姿勢が自衛となる。
現実として、世の中には多くのポジションやイデオロギーがある。
そして情報は常に意図を持って流されている。
わたしがこの記事という情報を流す意図は、日本人にもう少し情報を疑う姿勢を持ってもらいたいというところだ。
これが本心であるということはわたし以外には証明ができない。だから情報は危険なんだ。
何もかも信用ならないからこそ、意識を保つのが重要であると思う
メディアもネットも、本も動画も、あらゆる情報は完全に信ずるに値しない。
にも関わらず、我々の印象に無意識下から多大な影響を与えかねない脅威を持っている。
だからこそ、そういう意識を持って情報にあたる姿勢が重要だ。
そうすれば誰かの意図に踊らされる可能性が多少は軽減できると期待する。
# お断り、擁護や支持の意図はない
別に松本人志や港区女子のことを、そしてそれらの反対陣営であるメディアや寿司屋側のことを、擁護するつもりも支持するつもりもない。
それらの情報が本当だとも嘘だとも言わないし、その是非についての感想もここでは述べない。
捏造の容易さと信じ込む事の容易さへの警鐘
ただ、そういう風に世の中を騒がした情報というものは、幾らでも捏造が可能であるということを伝えたいのである。
そしてそれらを、どちらかのサイドに偏って信じ込むことが酷く容易であるということもまた、伝えたい。
他の件にも言えることだが、どちらが本当のことを言っているかというのは、「こうに決まってんだろ」と思い込むことが実に容易い。
何なら不都合な情報を発信する人間やアカウントにレッテルを貼り付けて、信憑性を毀損させる工作すら可能であるという事も述べておく。
人は信じたい物を信じるか?
確証バイアスというものがある。
掻い摘んで言うと、信じたい情報に有利な情報ばかり集め、不利な情報は集めないという人間の性質、傾向の一つである。
何らか信奉するものがあった時、それに有利な情報ばかりを支持するのが人間だろうか。
正解や真実に辿り着く為でなく、支持する側に与する為だけに情報を使っているのが現代人なのだろうか。
それでは公平さや公正さは夢のまた夢だ。
常に影響力のある者達だけがいい思いをする世界にしかならない。
金持ちと人気者の玩具の世界
金持ちは高いパソコンを購入でき、人員を確保してAIによって情報を濫造することが可能である。
不労所得者であれば、その上で可処分時間を確保する事も可能であり、その時間を使ってポジションに有利な情報を発信できる。
国や政党、宗教団体や経済団体、そういう集団や組織の力という物を使えば、人気や流行りを捏造する事も可能であると思える。
数百万人の会員を持つ宗教団体などが現に存在しているが、その横の繋がりを使えばチャンネル登録者数などの工作は可能だろう。
そういう団体が政府や他国と通じていることが、裏金報道や折に触れての代表のコメントなどから窺えるが、影響力があるので火消しできる。
そして世界は金持ちと人気者の玩具と化す。
一般人はただ、作られた流行りと風潮に踊らされる、哀れな傀儡、滑稽な道化師と化す。
お前は誰だよ
わたしはこの国の先行きを憂う一個人に過ぎない。
所属は極力持たないようにしているが、それでもわたしが体験してきたことから、無意識下に贔屓や忌避が生じているだろう。
それが公正さや公平さを欠く下地になりうるかもしれない。
しかしわたしは権力や金欲しさに、或いは保身でこの記事を書いていないので、極力そうならないように注意を払って記述したつもりである。
とはいえ当然、言うまでもないことであるが、あなたはわたしを疑っていいし、信じてもいい。それがあなたの自由意志である。
鵜呑みにしても話半分でも、或いは何らかの意図を持って、はてなスターをつける事も、つけない事もできる。
わたしはより多くの人にこの記事を読んでもらいたいが、それが叶わないのもまた、仕方ないと飲み込む次第である。
お読みいただき、感謝。